一二三北路株式会社 代表取締役・熊谷一男さん|学び、考え、議論する社員の存在が未来ある会社をつくる
一二三北路株式会社(札幌市)は国道や市道の維持・整備をはじめ、国や札幌市から公共事業の工事を任される中堅の建設会社です。代表取締役である熊谷一男さんはグループ会社母体の株式会社砂子組(奈井江町)の取締役を兼任し、一二三北路のワンマン体制を改革。社員一人ひとりが考え議論し、行動する組織が未来ある会社と語り、常に広い視野を持って、先を見通した経営を進めています。
管更生工事の技術を磨き、求められる建設会社に
御社はどんな事業を展開していますか?
砂子組グループに属する建設会社として、土木や建築、水道施設といった工事のほか、道路維持・除雪工事を請け負っています。土木、電力、維持、建築の4つの事業を柱に展開しており、国道の維持管理をはじめ、国や北海道、札幌市の公共事業を中心に活動しています。
より大きな企業が多数ある中、御社が選ばれる理由は何だとお考えですか?
ゼネコンの多くは設計を含めた施工管理が主体で、実際の作業は協力会社に発注する場合が多いです。自社でオペレーターや作業員の雇用がなく、重機械等も持っていないためです。当社は維持管理も行っている関係で人も機械も揃っていますから、自社だけでできる工事が依頼の約50%を占めています。
特に他の企業ではできない工事はありますか?
地中に埋められている古い下水道管を補強するために、既存の管の内部に新しい管を挿入する管更生工事です。この工事は当社の業務の中で、大きな役割を担っています。当社は5年前から始めましたが、まだ北海道でこの工事ができる会社は少ないです。
管更生工事が必要とされているのはどんな場所ですか?
札幌市の下水道管工事ですね。1972年のオリンピック開催に合わせて市内全域に下水道が整備されましたが、50年以上経過し、経年劣化により下水道管の破損が原因で道路が陥没するなど、早急な工事が必要です。管更生工事であれば、通常の工事と異なり道路を掘り返さずに済み、交通障害も費用も抑えられます。
公共、民間問わず多くの工事を手掛けていますが、安全衛生管理で徹底していることはありますか?
親や子供と仕事をするのと同じ気持ちで、「共に働く仲間を怪我させない」ということを徹底しています。身内ならちょっとでも危ない行為をしたら注意し、子供が頭ぶつけそうなところは養生するなど、常に危険がないか目を見張るじゃないですか。事故が起きると「片付けておけばよかった」と後悔するのです。後悔しないためにも、普段から細心の注意を払い、慎重に行動することを徹底しています。
議論と実行、反省を繰り返し、よりよい成果を得る
熊谷さんはこれまでさまざまな建築会社で働き、株式会社砂子組に務めている時に、同社の傘下に入った一二三北路の代表に就任されています。どのような経緯でお話が進んだのですか?
私はずっと土木現場で育ってきた土木技術者の端くれです。40年以上この業界に携わっています。一二三北路のグループ会社化が決まった当時、砂子組は土木建築業の強化も考えていた時期でした。それなりの投資をするので失敗は許されない状況で、社内を見回した時に一二三北路の経営者は、常務取締役だった私が行くべきだろうと思って手を挙げました。
一二三北路の代表となられた時、従業員の皆さんの反応はいかがでしたか?
先代の創業者が亡くなった後、企業価値を上げて株式譲渡を考えていた会社が引き継いでいましたので、社員のモチベーションは下がっていました。しかも、社員はトップダウンで物事を進めることが当たり前になっており、何をするにも「どうしたらいいですか?」と私の判断を求めてきました。覚悟はしていましたが、私の想像を越えるワンマン体制だったと感じましたね。起業したばかりの会社はトップが強くてもいいかもしれませんが、社員一人ひとりが物事を考えて議論できる組織でないと会社は継続も進化もできません。
社員同士の議論が御社のテーマにも感じますね。
私は「社員一人ひとりが自分の意見を出して議論すること」。これをちゃんと会社に根付かせたいと考えています。議論を重ねることで、何かが生まれたり、新しい発想が浮かんだり、頑張れたりするものじゃないですか。今の日本は人口が減り、世の中のスピードはどんどん速くなっています。それに“失敗させない”社会になっていますが、その時のミスやエラーが数年後には正解になる可能性があります。そんな世の中を生き抜くには、一人ひとりがアンテナを張って情報をキャッチし、みんなで考えながら失敗を恐れずに進んでいくことが大切だと思っています。安定だけを求めず、一歩踏み出す勇気を持たないといけません。
当時ワンマン体制だった組織を、どのように議論できる会社へ変えたのですか?
社員の意識改革を進め、まずは勉強するように求めました。物事を考えて、議論して事業を進めるためには、それぞれが勉強をしていないと話になりません。社内のグループや個人が、自発的にどういう勉強が必要で、どうしたいかを考えて、学びを進めました。時間はかかりましたが、今では社員全員が積極的に取り組む組織になりつつあります。大変だった一方で、仕上がった組織ではなかったので、経営者としても「これからどういう風にしようか」と考える面白さも感じています。
現在はどんな場面で、社員同士が議論していますか?
社内ではロールバックといって、工事が終わった後に振り返りを徹底しています。この作業で検証すれば、もう一度同じ工事をした時に、同じミスを繰り返さず、もっと良いやり方ができますから、利益も品質も安全性も明らかに良い方向に変わります。この反省はとても重要です。
目的を明確にし、将来に必要なものを見出す
今、土木・建築業界ではDXがキーワードになっていますが、御社では全国でもいち早く取り組まれたと聞いています。
将来の人口減少などを見据え、国交省が情報化施工を推進していたため、当社では2012年にICTを本格的に導入し、2021年にはDXにも取り組み始めました。当時、私の知っている企業ではまだ取り組んでおらずソフトメーカーもまだ不慣れで、最初はさまざまなバグが出て、現場は苦労していました。簡単にいかないことは覚悟していましたから、目的意識を持って取り組みました。
他の企業より早くにDX化を進め、いつ成果を感じましたか?
当時は麻生政権下で「景気対策の三段ロケット」で補正予算が大幅に増えた際、いち早くICTを導入していたおかげで、難なく対応できたのは驚きでした。
情報化施工の投資は相当なものだったのではないですか?
当然、投資は相当な額でしたが良い経験になりました。何でも成熟してから取り組むのも良い点がありますが、私は先行して実践して勉強したいタイプでした。今もテクノロジーは日進月歩で進化していますし、AI技術は1年経ったら別物のように進化していくでしょう。
2023年に御社で新しく立ち上げた「eデザインセンター」は、ICT施工や3D設計、DXに力を入れた部署だそうですね?
設計書通りに作るのではなく、現地・現物に合わせた“必要な(Essential)デザインをする”のが我々の仕事だという考えで立ち上げました。そこに住む人やその土地の歴史も考慮した設計にすべきだと考えています。「良い(いぃ)eデザイン」という意味も込めています。
どんな方が所属されているんですか?
ITデジタルに強いエンジニアのほか、現場にも入る女性スタッフの若いチームです。マネージャーが40代で、このほか20代、30代が担当しています。未経験で入社しましたが、今では3D設計もできますし、バックオフィス業務として現場のサポートに欠かせない人財に育っています。
人生の醍醐味は目標設定と達成の繰り返し
求人にも力を入れているということですが、どんな人物像を求めていますか?
やる気がある。それだけで十分です。今の時代、やりたいことが分からない、目的が見つからない人が増えていると聞きます。そんな人こそ当社で共に探しましょうと伝えたいです。会社には企業理念や目的はありますけど、社員には「人生の目的や夢はないのか」とよく聞いています。偉そうなことをいうわけじゃないですが、せっかくなら「いい人生だ」と思いたいじゃないですか。
人生の醍醐味は夢を持つことなのですね。
現状から達成までの道筋を立て、問題点や課題を一つずつクリアして達成できる。達成すると課題がなくなって動きが止まってしまいますが、また新たな目的を作ればいいんです。とにかく目的を作って、達成するというのを繰り返すのが人生の一番の醍醐味だと私は思っています。
熊谷さんは社長になった今も、アグレッシブな考えをお持ちですね。
私も2024年で65歳になり、それなりに年を重ねていますから、いろんな人に出会い、さまざまな場所に足を運びました。そんな私にもまだまだ、知らない世界が膨大にあります。そんな未知の世界をちょっとでも知りたいんです。そのために建設業界だけでなく、他産業の人と会って話すことが大切だと感じています。
対面で会う機会が昔より少なくなってきましたが、多くの人と交流することを大切にしている理由は?
デジタル社会の今、何でもスピード感を持って回さなきゃいけない風潮になっています。業務はその“型”を先輩から教えてもらい、キャリアを積めば誰でもできるようになりますが、人と人とが繋がることで新たな発見があります。それがものすごく重要だと感じています。コロナ禍を経て、その想いがより強くなりました。新入社員からもいっぱい学ばせてもらっています。若さや行動力、それに元気のいい挨拶です。新人からたくさんいいことを思い出させてもらっています。
インタビューに応えてくれた人
- 趣味:
- 映画「男はつらいよ」シリーズ観賞、釣り、ゴルフ
1959年夕張市生まれ。美唄の専修大学北海道短期大学卒業後、倶知安の建築会社に就職し、株式会社砂子組に転職。2012年にグループ傘下に入った一二三北路株式会社の代表取締役に就任。現在は砂子組の専務執行役員も兼任している。